セメスターの半分が終わりました。
あっという間に今セメスターの半分が終わり、Study weekと呼ばれる授業なしの自習期間に入りました。この一週間休みの前に重めの課題が重なってクラスメイトも皆んな疲弊していたけど、何とかここまで来たーという感じ。
前回のブログで授業の展開の仕方について書き留めたのですが、その後も面白い発見が山ほど。端的にこの一か月授業の中で感じたことを書き留めておきます。
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ひとつ感じたのはArtの捉え方。より多様に感じることが多く、またそれに付随したアクティビティも多岐に渡っている印象。
ここにも多文化が共存する土地柄が影響しているのではないかと推測。
母語の違いにより言葉を介した表現が十分でない子どもも多く、自己表現としてのArtがより重要な位置を得ているのではないかと思う。現場で働く保育者とのオンラインセッションの中でも、第一言語じゃない分子どもたちから言葉が出づらく、そのために保育者からアプローチをして彼らの思いや意欲を引き出す働きかけをするような例を耳にする。描く手段を変えて、その時の感情を表現する子もいれば、描くものを変えて自分の気持ちを書き表そうとする例も見た。
そう考えるとレッジョ・エミリア アプローチの創始者であるLoris MalaguzziのThe 100 languages (100の言葉)の意味がちょっと深まるように思う。
ふたつ目。Running Recordと呼ばれる実習ノートの書き方。私は国家資格で保育士免許を取得して現場にでたので、実習日誌を書いた経験はなく、園に勤めている時にそれを評価する側から入りました。なので、私の頭にある実習日誌の情報はすべて日本の保育学校を卒業した保育士さんから聞いた話、もしくはネットから得た情報なので信憑性は低めです。
現在は新型コロナの影響で、子どもたちのいる現場に出向いて実習をすることはできないのだけど、ビデオを見て子どもたちの様子を観察・記録するという課題が出ました。
大きく3つに分けて記録を取ります。
観察(Observation)・推論(Inference)・評価(evaluation)
観察は見たままの子どもの姿を記録するのですが、身体的な動きの細部を捉えるように求められます。例えば「Aくんが走っている」という大まかな描写より「Aくんは右ひじと左ひじを90度に曲げ、それらを前後交互に振り、腕の動きに合わせて対角的にそれぞれの足を前に出して走っている」みたいな。
先生が実習ノートを書くポイントとして挙げていたのは
1. 子どもの動きを流れで書き留める
2. 客観性を忘れない/ 見て・聞いたことを書く
「Aくんが楽しそうにしている」って表現は主観的で観察者のフィルターがかかっているのでNG。見たまま、聞いたままを記録する。
子どもの動きや言動を客観的に記録した後は推論に入ります。ここがひとつ大きく違うと感じている点で、この推論には、時にピアジェやヴィゴツキーが登場したります。要は、観察した子どもの動きを論理的に解説しましょうってパートです。
例)
園庭で宝さがしをしている。Aくんは地図を持ち、先生に「宝ものはあっちにあると思う」と伝える。Aくんは先頭に立ち園庭の遊具を潜り抜けながらクラスのみんなをリードしている。
上記のような記録の場合 「Aくんは先生に考えを伝え、クラスを先導する積極性が見られることから、エリクソンの発達段階 幼児期後期(自主性vs罪悪感) の段階にあると考えられる。」みたいに書く。
この観察・推論があった上で初めて自分の意見を述べる(評価)に至る。しかし、ここでも断言するような表現はNGで「~のように見える(seems to, appear to)」「おそらく~(Perhaps)」のように書くことを推奨されています。
Aくんはとても楽しそうに宝さがしに参加しているように見える。クラスを先導する中で、後方に目を向ける姿があったりAくんの自信や積極性を高めているように思う。
オンラインだからなのかは不明ですが、この課題は5分間の部分的な子どもの姿を観察するものでした。私の知る限り、園での一日の姿を記録する様式をよく目にしますが、このような部分的な記録方法も保育学校で取り入れられいるのでしょうか。あと、担任としてクラスに入った実習生の記録を見た時、論理的に述べる欄はなかったように思うのですがどうなんでしょうか。
ああ。話したいことがたくさん。
でも好きなことを学ぶのは本当に楽しいし、キリがないな(笑)