とことこ保育

人生で間違いなく大切な乳幼児期

勉強する程に自信をなくしていく。

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100日以上続いたロックダウンが終わり、衣料品や雑貨のお店が少しずつ開き始めやっと人が街を作り始める!という喜びを感じています。

 

私は保育学生をしています。が、パンデミックの最中に入学をしたのでいまだに実習をしたことがありません。Senecaカレッジからは9月のセメスターから対面授業+実習が再開する予定とお知らせをされていますが、信じたい気持ち50% 実際どうなのよという疑心50%というところ。

 

実習を経験したことがない保育学生、または通常よりも少ない日数で行った学生はどのように見られるのだろうか、そんな事をふと考えたりします。

 

日本の場合をいうと、国家試験を経て保育士免許を取った方は実習なしで現場に出るので8年前の自分を回顧すれば良いのか。

 

なんて思いましたが、あの時はフルタイムパートとして園で働きながら試験勉強していたので実習以上に濃い経験をしながら学べていたように思います。実際、子どもの発達段階を暗記する時、テキストの文面や図を覚えるより、頭の中で該当する発達段階にある子どもたちを思い浮かべて彼らの様子を顧みながら試験問題を解いていました。

 

ただこちらでは経験ゼロ。クラスルームと呼ばれる場所に足を踏み入れたことがありません。それでも課題はクラスルームをデザインしてみよう、カリキュラムを組み立ててみよう。その課題に対して、実際の子どもの姿を想像しながら取り組みましょうなんてコメントをもらった日には久しぶりにイラっとしてしまいました。

 

子どものいる環境の空気感とか間合いとか空間の中に入り混じるそれぞれのオーラみたいなものって、そういう建設的なものを考える上で大切な要素にように思うのですが、それのない状態で環境やカリキュラムを組み立てる。これはただ、これができたら素敵だねって学びになっていないだろうか。

 

プログラムも今学期が終わると半分に差し掛かる状況で、なかなか当初のようにいかないことにモヤモヤとしていましたが、これは実習にいけない現状だけでなく、現場から離れ徐々に自信がなくなっている自分の気持ちが結構影響しているなと最近になって考え始めました。

 

保育士をしていた時に悩んでた膝の黒ずみが薄くなって、子どもの重さとか大きさとか段々曖昧になってきて。保育者として現場に立つ自信が、勉強を進める度になくなっていく。勉強してるのに自信がなくなるって滑稽だなと思いつつ、それがリアルでなんともやるせない気持ちになっているのも確かです。


実習だけじゃない!と自分に言い聞かせてたくて、いろんなリソースを漁ってる時に見つけたアメリ同時多発テロの時ワールドトレードセンターの真横にあった保育園の先生・保護者のインタビュービデオ。思わずポロっとしました。

 

※この映像にはテロ発生当時の映像を含まれています。精神的なストレスを感じる方もいらっしゃる可能性がありますので、ご自身の判断にてご覧いただくようにお願いします。www.youtube.com

 

乳児用にあったお散歩カートでは足りず、近くのスーパーから買い物カートを借りて子どもたちを約5km安全なところまで運ぶ場面を誰が想像したでしょうか。迫る砂埃から子どもを守るために通りすがりの方が着ていた衣服を子どもたちに被せてくれる状況を考えたことがあったか。子どもたちを迎えに行きたくても、そっちには行くなと止められる、子どもの安全を確認できない保護者の不安や憤り。

 

東日本大震災の時も2日間、園に泊まったことを思い出してなんか教科書やプログラムに固執してる自分がバカらしくなって、なんだか気持ちが落ち着いたのが現在です。

 

根本的な解決にはなっていませんが、カリキュラムよりももっと根本にあるものを自分は忘れていないだろうか。

 

それが今一番大切な自分への問いかな。と今は考えています。

 

保育実習が当初の予定通りにできず、現場へ行くことに自信を持てない学生さんは恐らく私だけではないはず。自分だけではない、そこも大きな支えになっています。

 

不安を持つことはネガティブなだけではないと信じて!