1セメスターが終わりました。
最後に更新した日がとてつもなく昔で、驚きを隠せません。
さて8月下旬にカナダのトロントに渡航をし、9月から始まった1セメスターも先週無事に終わりを迎えました。学びはたくさんあったのですが、その中でも面白いと感じた点をいくつか書き留めておきます。
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一枚のスライドから始まる授業展開
専攻分野のクラスはThe Land acknowledgementと呼ばれる一枚のスライドからすべて始まります。 この内容については以前に一度触れたのですが、トロント市内の他のカレッジで幼児教育を学ぶ友人曰く、カナダの先住民の文化や自然との関わり方からの学びはクラス内であるものの、アプローチの方法はカレッジによって違うようです。ひとつ言えるのは、カナダの幼児教育を学ぶ中で先住民の方の暮らしや文化はカナダのルーツであり、州に関わらず取り入れているものだということ。
7 Guiding principles of the Grandfathers teachingと呼ばれる先住民の方の間で代々受け継がれてきた7つの教えがあり、授業の中でこの点についても触れました。
-love(愛) -respect(尊敬)
-bravery(勇敢さ) -truth(誠実さ)
-honesty(誠意) -humility(謙虚さ)
-wisdom(賢さ)
自然と共に育ち、年長者から学び土地、人々そして歴史を大切にする先住民の教えがEnvironment as the third teacher(環境は第三の教育者)という授業の中でも使われていた子どもたちを取り巻く人的・物的環境に対する表現にも繋がっているのではないかと感じています。
実習ノートの主観性と客観性
こちらで実習ノートを書く時に強調して言われたのが「客観的な視点」と「主観的な視点」を分けて記述すること、そして主観的な文章を既存の理論で裏付けすることでした。
① Aくんが床に転がっていた青いボールを手に取り頭の上に乗せていた
② Aくんが床に転がっていた青いボールを嬉しそうに手に取り、
帽子に見立てて頭の上に乗せていた
さて。どちらが客観的・主観的な文章でしょうか。
①が客観的な文章、②が主観的な文章です。客観的な文章は第三者的目線で目の前で起きたことを淡々と記述します。一方で主観的な文章は「嬉しそうに」「帽子に見立てて」など、観察者の考えや意見が追加された文章です。実習ノートを書く時はこの2点をしっかり分けるように先生から指導があり、実際に私が提出いた課題の一部は以下のようなものでした。
≪客観的に記述した部分≫
Sam君は宝さがしのアクティビティに参加している。宝の在り処が描かれた地図を持って園庭を探索している。「宝物はどこにあるのかしら?」と先生からの質問に「あっちにいかなきゃダメだよ」と答え、先頭に立ち、地図を確認しながら他のクラスメートを引き連れて園庭内を探検している。
≪主観的な記述した部分≫
Sam君は他児及び保育者に行き先を提案したり、グループの先頭に立ったり、責任感を持ち積極的にアクティビティに参加しているように見られた。
ここで私がなぜそう思ったのかを現存する理論で裏付けをします。今回の場合はエリクソンの発達段階を引き合いにして
"Sam君が責任感を持ってアクティビティに参加する姿はエリクソンの心理社会的発達理論の第3段階 自発性対罪悪感にあたると思われる。"
と結びました。
この理論と観察を結びつける点が日本で実習ノートを見た時と比べとても新鮮でした。理論は大多数の人に当てはまりますが、まだ発展途中。私たち教育者が子どもたちを観察し、理論を支えるその分母を増やしていく、また理論を基に異なる子どもの姿を捉える事は教育者であると同時にリサーチャーであるという側面を新たに感じました。
artの捉え方
この点では、art(表現)というものの扱い方の違いとその背景、またそこから見えてきた5領域に関する疑問を書き留めていきたいと思います。
長くなったので次回(笑)