とことこ保育

人生で間違いなく大切な乳幼児期

グリーングリーンはママの曲だった話。

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今月から子どものいる環境に戻った。一カ月ぶりに身を置いてみると改めて気づくことが多くて自分でも驚いている。私が今働くところは同じ敷地内に保育園と幼稚園があり、現在幼稚園は休園、保育園は感染防止策などを示した上で利用を考えていただくように呼びかけ、15名前後の子どもたちが登園している状態だ。

 

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3月まで勤めていた園は小規模園でピアノがなく、リズム遊びや歌は主にiPodやCDを利用して行っていたが、現在の園は年長による鼓笛隊演奏もあり音楽に力を入れている園。ピアノを弾く機会も多そうなので、久しぶりにピアノの教本を開いてみた。

 

そこで見つけたのがグリーン・グリーン。明るい曲調の割に歌詞の内容が悲しくよく覚えている曲だ。

 

作詞・作曲を見るとアメリカがオリジナルの曲。原曲を調べてみた。

 

www.youtube.com

 

歌の出だしから あれ?パパじゃなくてママ

 あれ?

歌詞がまったく違う。

 

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 【日本語】

ある日パパとふたりで 語り合ったさ

この世に生きる 喜び そして 悲しみのことを

 

【英語】

Well, I told my mama on the day I was born
Don't you cry when you see I'm gone
You know, there ain't no woman gonna settle me down
I just gotta be travelin' on

 

僕が生まれた日 ママに言ったんだ

ぼくが離れても 泣いちゃダメだよって

ぼくは女のためにとどまらないし ただ旅を続けるだけさ

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訳詞をした方を調べてみた結果、これは訳詞ではなく作詞だった。日本語の作詞をされたのは「とんでったばなな」「勇気ひとつを友にして」も作詞した児童文学者の片岡輝さん

日本語版の詞は片岡輝が担当し7番まで存在するが、これは原詞の翻訳ではなく独自に作詞したものである。片岡輝の詞には「パパ」が頻繁に出てくるが、原詞にはパパは一切登場せず、出てくるのはママのみである。片岡は 教育芸術社のインタビュー記事の中で「ふと、日本の歌の中には、親子の心を通わせるような、特にお父さんをテーマにした曲はあまりないなあと思ったんですよ。」と語っている。

日本では片岡輝の作詞により父と子の対話と別れを描いた作品として知られており、学校での教材にも使用されている。歌詞中にある、“二度とかえって来ない遠い旅路”に出かけた「パパ」の身上に何が起こったかに関しては様々な解釈が存在するが、作詞した片岡輝自身は読み手がどう解釈するかは自由である*との発言をしている。

*『シリーズ・インタヴュー 音楽を語ろう』教育芸術社、2005

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3#cite_ref-2

 

グリーングリーンの原曲も時代背景を反映している側面があり、この曲が生まれた1963年はマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が I have a dreamと歴史的な演説を行った年。1960年代は徐々にアメリカがベトナム戦争に介入し始め、既存社会への反発やそれに伴う学生運動が激化してる頃だった。ヒッピーも呼ばれる伝統や文化から解放され自然回帰を目指す若者も出てきて、その頃の社会に反発しフリーセックスや各種差別の撤廃、ドラッグ解禁やヴィーガニズムの動きにも影響されていたようだ。

 

Nah, there ain't nobody in this whole wide world
Gonna tell me to spend my time
I'm just a good-lovin' ramblin' man
Say, buddy, can ya spare me a dime?

 

僕に自由に生きろと言ってくれる奴なんて

この世界に誰もいないのさ

ぼくは愛に満ちた放浪者 なぁ相棒

10セントを貸してくれないか?

 

 

そういう事実を知ると、曲の印象がガラリと変わる。

 

 

最近、きゃりーぱみゅぱみゅさんの件や検察庁法の話を見聞きして、発言することについていろいろ考えるが、

 

グリーングリーンのように日ごろ歌っている曲にも背景があり、物事それぞれに歴史があり、そう考えるとこれまですーっと続いてきた流れがある中、現状しかほとんど知識のない自分がコメントすることは浅はかなことなのかとも考えてしまう。声を上げることの大切さに賛成する一方で「自分のこの考えを他人とシェアしたらどうなるだろうか.....。どうやって、どんな言葉で伝えるのがよいのか。」そんなことを止めどなく考え言葉を内に留めたくなることもしばしば。

 

 

 でも考えてみると、歴史やカカオ豆からの精製方法を知って日頃チョコレートを口にしているかと言ったら申し訳ないがそうではない。知識としてカカオ豆を生産する人たちの労働環境や輸入に伴う問題の話は知っているが、その程度。そんな私が「チョコレートはうまい!」とつぶやくことは浅はかなのか。もし、みんながチョコレートの背景にある貧困や児童労働を知っていて、そこに対策を行うメーカーを知っていたら「フェアトレード」なんて言葉をパッケージに表記する必要はない現実があったかもしれない。

 

「チョコレートうまい!」と政治や人権に関する発言を並べて考えるのはナンセンスかもしれないけど、いけないのは発言する内容の重要さや自分自身が社会の一員である事実を置いてけぼりにして、感じたこと・思ったことを突発的に発信してしまうことかなと思う。

 

そんな私のむにゃむにゃをビジュアル化してくれたのがこの一冊。

個人的におすすめします。

 

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こんなパロディも個人的に好き。DOMOくん!

www.youtube.com