アシタカの葛藤が重なる。
最近のニュースを見ているとよく、もののけ姫のシーンが頭をよぎる。
※もののけ姫のネタバレを含みます。
アシタカが旅立つ前にヒイ様が「西の国で何か不吉なことが起こっているのだよ。」と諭す場面、新型コロナウイルスが最初に確認された中国の地理的位置が`日本から見たときにマッチするからだろうか。いや、そうじゃない。
時間をかけてアシタカの身体を蝕んでいくタタリ神の呪いが、ウイルスの拡大具合に似ているからだろうか。アシタカが劇中で感じている怒りや絶望に、この状況下でじわじわと感じる不安に似たものを感じているのかもしれない。
アシタカが絶望や怒りを感じた時に、呪いによるスーパーパワーが発揮されて怪物みたいになって行く。最初に矢を放った時、人の首がスパンッと飛んだ時は本人も驚いていたが、それでも自分の力でなんとか呪いを抑えることができていた。しかし、西の国へ旅を続けていくうちに、だんだんとコントロールが効かなくなる。しまいには呪いが可視化されて蛇のように姿を現す。指一本で刀を曲げちゃったり、何十人がかりで開ける扉を片手で押し上げたり。最初は自分でコントロールできているつもりでいても、だんだんと制御が聞かなくなったり、湧き上がってくる感情が抑えられなくなる。
アシタカが受けた呪いのように、そもそも自然は人間が管理できるものではなく、こうしてウイルスと戦っている時も容赦なく地震を発生させるほど残酷で(そのおかげで寝れずにこのブログを書いている)、一方で自主隔離が要請されている中でも、鳥の声や緑を見て、人混みを避けてその中を歩くだけで生きてるぞー!って実感させてくれる癒しでもある掴めないやつ。
人間は、ウイルスを含む自然から免疫を身につけて進化してきた背景があるし、一読させていただいた記事によると、人間が子宮内で子供を育てるために必要な、子宮を形成する遺伝子のひとつはウイルス由来なのだそう。驚き。ウイルスも自然で、私たちもウイルスに生かされてるんだと改めて頷いたのはこの記事。インフルエンザA型の流行に合わせて書かれた記事だが、ウイルスというものについて分かりやすく書かれている。実際できるのは撲滅でなく終息よ。共に生きねばね。
乳児の頃にスケジュールを組んでたくさん打った予防接種は、人為的に弱毒化・無毒化・病原体の一部を入れて免疫獲得をするためじゃないか。生まれた時から結構近しい。
自然と人間の共生について問うアシタカとモロのシーンでも、
アシタカ「モロ、森と人とが争わずに済む道は無いのか?本当にもう止められないのか?」
モロ「人間どもが集まっている。きゃつらの火がじきにここに届くだろう。」
アシタカ「サンをどうする気だ?あの子も道連れにするつもりか?」
モロ「いかにも人間らしい手前勝手な考えだな。サンは我が一族の娘だ。森と生き、森が死ぬ時は共に滅びる。」
アシタカ「あの子を解き放て!あの子は人間だぞ!」
モロ「黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか?森を侵した人間が、我が牙を逃れるために投げてよこした赤子がサンだ!人間にもなれず、山犬にもなりきれぬ、哀れで醜い、かわいい我が娘だ!お前にサンを救えるか!?」
アシタカ「分からぬ…。だが共に生きることはできる!」
モロ「フハハハ!どうやって生きるのだ?サンと共に人間と戦うと言うのか?」
アシタカ「違う!それでは憎しみを増やすだけだ!
そうよ。共生。
あとひとつだけ、最近のニュースから頭に過る、もののけ姫の登場人物は、
女子供や病人にも仕事を与え、時に村人を失いながらも村に食糧を届けるために職務を全う。残酷な判断を下しながらも、村人から絶大な信頼を得て、神に抗い森を切り開いてまでタタラ場を豊かにようとしたエボシ様。
そこまで尽力した彼女がシシ神狩りに失敗をして、最後に残した言葉が「みんな、はじめからやり直しだ。ここをいい村にしよう。」この時にエボシ様が思った「よい村」とはどんな村なのか。また、劇中では「森に光が入り、山犬どもが鎮まれば、ここは豊かな国になる。」と国を語っていた彼女が最後に「村」を口にした意図とは。
もののけ姫の主題歌でも、
悲しみと怒りにひそむ まことの心を知るは
森の精 もののけたちだけ
さぁ森へ行こう。 (3密は避けてね)