付いていけていないのは身体だけではなかった。
SNSのマーケティング戦略にまんまとハマり、気づけばTwitterでフォローしてたり口コミを見て目にした方の書籍を読みまくっていることに気づきました。
最近「気温差が激しすぎて身体がついていかない」的なツイートを投稿しましたが、私たちが付いて行けていないのは身体だけではないなと実感する記事がSNSで回ってきました。
「それってズルくないですか?」
「他人の幸せがつらい。」
そもそも相手が自分よりも上に見える・恵まれて見える基準となっているものは何でしょうか。
少し前、私たちの親の世帯までは持ち家があったり、車があったり、国立大学に入学するなど、ステータスを表すものさしがより明確であったように感じます。
今はホテルを転々としたり、サブスクリプションで国内国外を移動しながら生活するスタイルも現れて、持ち家があり定住できる場所があることの見方は以前よりも変化していますし、車に関しても購入する若者の数は減少傾向。同性婚や子どもがいない家庭の在り方も広がっています。実際私の周りでも事実婚の方は増えている。
幸せに対する考え方が多様化しているなぁーとしみじみ。
誰だって自分の幸せや望みを追いかけて叶えたい願望が多かれ少なかれあると思います。あって良いんです。
他人を比較の対象として捉えないこと
第三者的な視点を持つこと
そして、世間の流れをしっかりと捉えていく事。
私の親を見ていても、主な情報の収入源はテレビ、新聞。しかし、SNSを開けば、テレビメディアでは扱われない情報がたくさんあり、オンラインサロンなどグループでのみ共有されている情報や仕事がある。
自分の置かれている立場は、他者に影響を受けて困難に直面することはあっても、そこある選択肢を選び、作ってきたのは私たち自身です。
「若い人はどこでも就職できるのがねたましいし、腹が立つ。私なんかはもうどこにも行くところがない」
その問いをぶつけたいのであれば、それは他者ではなく今までの自分自身だと思うのです。
自己責任の姿勢。
最近まとまらない頭の中の忘録。