とことこ保育

人生で間違いなく大切な乳幼児期

その言葉はどこから評価して出たものですか?

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すでに利用されている方、もしくはサービスを提供する側としてご存知の方もいらっしゃると思いますが、マッチングサイトを介したベビーシッターの利用は保護者の勤務する会社等を通して、福利厚生サービスを適用することが可能です。
 
利用料金が割引されることで、保護者の方々がベビーシッターをより身近に感じ、利用していただけることは私のような働き方をする人にとってもとてもありがたいことです。
 
一方で、たまに頭をよぎるのが、
私の働きに対して掛けられる言葉は果たして、私が設定した価値に対するものなのか、それとも福利厚生を適用した金額によるものなのかということです
 
ここからは私が個人的に不安に駆られることの振り返りですが、ベビーシッターを利用したことがある方、また考えている方にとっては、そんな風に思われているのかと気分を悪くされるかもしれません。何卒ご了承ください。
 
 
 
 
「家事がゆっくりできて助かります」
「仕事が捗りました」
「代わり子どもと遊んでくれる人がいることが嬉しいです」
 
ご自宅にお伺いすると掛けていただく、嬉しい言葉の数々。毎回、自分の設定した金額を超えたものを残せるようにご家庭へ出向いている側としては、やり甲斐でありモチベーションを保つ大切なきっかけになっています。
 
しかしふと先日、
 
「福利厚生のおかげで今日の分も2000円以下なんですよ。ありがたい。」
 
とお話しを伺った時にすごく不安になりました。
 
私は自分で設定した金額以上の仕事をして評価をいただいていた気になっていたけど、それを割引された値段の仕事と捉え評価している方もいるのではないか。
 
今までかけてもらった言葉が
「2000円で」「2000円にしては」
と付いたものだったら、、、
 
もちろん私には時給設定した働き分の金額が入るし、より日常生活に則した形でベビーシッターを利用してもらうためにも使えるものは使うべきだと思っています。
 
一方で私が不安に感じているのは、金額ではなくその捉え方です
同じことは、10月から始まった幼児教育・保育の無償化にも言えるではないかと。
 
無償になることを、憲法にも記されている「教育を受ける権利」、また、子どもの権利条約の権利である「生きる権利・守られる権利・育つ権利・参加する権利」として捉えるのかどうか。正直、全年齢すべての家庭に無償化が適用されるわけではないので、これを権利としてお話ししてよいかという点についても賛否両論あると思いますが、無料になるという事実だけを見ている場合とそうでない場合では、考え方等に違いが出てくるのではないか。ふとそんなことを考えます。
 
園に勤めていた時は、減免などがあっても対象家庭を把握する以上自分事として捉えていませんでしたが、個人事業主として働き始めたことで直にその影響を感じるようになりました。
 
私も無料や割引は大好きです。レシートに割引券が付いていたり、スタバでアンケートレシートが出たら声を出さずにはいられません。
 
しかし、無償化の他内閣府ベビーシッター割引制度なるものも始まり、ベビーシッターとしての働き方もこの一年で劇的に変化し、複雑化しているように感じます。それはポジティブであると一概に言えません。これから2020年にかけては教育改革に向かって幼児教育を含む教育分野で引き続き様々な変化が見られると思います。
 
今の段階から2020年以降を頭に置いて流れを掴み、行動することが大切だなと感じながらも、日本という国自体に疑問を感じることも多く、教育の分野に限らずなんだかモヤモヤします。このモヤモヤの正体が何なのか言葉にできるようでできない感覚ばかりが増えています。なんだこれ。