面倒くさいんだもん!って子どもの時に何度言ったことか!
最近、小学2年生の男の子とお母さんと話した時、最近息子さんからよく出る言葉があるという話題になり、それが
「面倒くさいからやりたくない。」
でした。
私も小さい時によく言ってたなぁー(笑)
やりたい!と始めた通信教育も、 毎月送られてくる教材がメインになり、 肝心のペーパーテストを提出しない。自分からお願いしたのに、 終いには面倒くさいと言い出す。そりゃ怒るわな母。
小学校6年間続けたピアノも、最後は母と言い合った挙句 面倒くさい!で終わった記憶があります。
でも歳を重ねた今、面倒くさいってすごくざっくりした表現だなと感じます。
子どもに対しては、 面倒くさいをより具体化してあげる関わりが必要なのではないかと 思ったり。
煩わしく感じてしまう、面倒くさい理由は?ピアノのレッスンを例に考えてみると
ピアノが嫌いなのか?
取り組んでいる曲が難しすぎるのか?
気分の問題なのか?
そもそもピアノのレッスンを始めるまでのプロセスが嫌でやる気を 失っているのか、そこから考えなくてはいけないと思います。
私の場合、
やりたくて始めたピアノ
↓
徐々にレベルが上がり、
ピアノの課題が難しいと感じようになる
↓
次のレッスンに行くのが不安・億劫になる
↓
小学生なりに考えた
母はなんて言うだろう...
自分からやりたいって言ったし...
月謝払ってもらってるし...
先生にこの曲変えたいと言え...ないなぁ
発表会もするって言ってたなぁ...
スタートダッシュは良かったものの、
継続するという点でモチベーションを失っていた自分。
頭の中でグルグルいろんなことを考えて、
最終的に出た言葉
それが、面倒くさい!でした。
この面倒くさいはピアノに対してではなく、
ピアノを始めたことで、芋づる式にくっ付いてきた緊張、 不安や葛藤に向き合うことに対してだったのだと思います。
大人になればもっと面倒くさいことが待っていることを経験してい るので、子どもの時からそんなこと言ってんじゃない!
って口から出そうになる気持ちも大・大・大共感です。
面倒くさいの裏側にはたくさんの因子があり、 それぞれ違った面倒くさい理由を持っています。
自分を振り返っても、こうして欲しかった、 ああすれば良かったのかながたくさん出てきます。
面倒くさいと聞くと、 取り組んでいる物事を主語に考えがちですが、面倒くさいと発言し たことに対して話をするのではなく、 その後ろを目を向けると見えてくるものがあると思います。
たった一言。でも、その一言が相手に様々な印象を与える。
言葉の選択の大切を改めて感じました。
この出来事から、子どもから「面倒くさい」が出た時、自分を振り返って共感してます(笑)