マズローの5段階欲求説から感じたセブ島の子どもたち。
ここからは、マズローの5段階欲求説を踏まえて、私がフィリピンの子どもたちとの関わりを体験して感じたことを、(なるべく)感情論ではない言葉でお伝えできたらと思います。
マズローの5段階欲求説についてはコチラ↓
また幼稚園に通っている子どもたちの他に、貧困層の多い地域に赴きストリートチルドレンと呼ばれる特定の居住地を持たず、移動を繰り返しながら路上生活をしている子どもたち、孤児院で生活をする子どもたちにも会ってきました。
GTP-Kinder プログラムを通して、様々な環境で暮らすフィリピンの子どもたちを見て、まず感じたのは "読み書きや他者との関わりを学ぶ前にこの子たちが必要としているものがたくさんある" という実感でした。
私が感じた、子どもたちの必要としているものはマズローの欲求段階に当てはめると、下記の2つになるのかなーと。
ストリートチルドレンの場合
・食事の有無がその日により変わり安定した形で充分に取れていない
・決まった就寝場所、生活拠点がない
食べたい・飲みたい・寝たいという基礎となる生理的欲求も満たされていない状態にある子どもたちも少なくないように感じました。
また、学校に通っている子どもたちの中にも、活動の間に設定されているスナックタイム(軽食の時間)に食べ物を持ってこれず他の児童が終わるのを机に座って待つ姿、10時頃にあるスナックタイムにお弁当くらいの量を食べている子どももいて、話を聞くと朝食兼軽食のブランチのような形で食事を摂っているということでした。
ということは一日2食?どのくらいの頻度、量の食事が欲求を満たすに値するのかは個人差がありますが、仮に一日3食を基準とすると、学校に通う子どもたちの中でも一番の基本である生理的欲求が満たされていない場合もあるようでした。
このような状況にある場合、求められているものは教育よりひとつ前の生命維持に関わるところにあることを実感として感じました。
そして、そのような環境の中で、欲求をある程度満たせるように設定され、幼稚園から義務教育になっている学校の存在はとても大きく感じました。
学校に来る=安全を保障された環境に身を置く
校内にはお店で買うより安く値段設定がされた軽食も売っていて、オプションとして
空腹を満たせる場がある=生理的欲を満たす環境も整えられていました。
それをある程度達成した状態で、学校という集団の中に入り、その次の段階である「仲間にはいりたいな!(社会的欲求)」「認められたいな!(承認欲求)」を満たしていく。
国内に目を向けるとどうか。
小学校(もしくは幼稚園・保育園)から給食の支給もあり、
学校に来る=安全を保障された環境に身を置く
に加えて、
給食の支給がある=生理的欲を満たす
第二次世界大戦後の貧困家庭が多かった時代から、子どもたちの生理的・安全の欲求を満たそうとした過程があり、すべての国民が教育を受ける権利があることに基づく義務教育で、学びへ目を向ける環境を作る基盤が作られていたことに改めて気づかされました。もちろんその頃から変わっていない日本の教育制度にはまだまだ課題も、改善点もありますが....ね。
国内外問わず現状として義務教育の受けれていない子どもたちがいる。家庭と学校の機能だけでは足りていないことから、子どもの営みは一か所では完結しないということも実感させられました。
今回、単純には比較できない真っ新な状態で、今まで自分が受けてきた日本の教育・自分がしてきた保育、子どもとの関わりを振り返って、日本の保育の良いところ・違いを経験として見つけることができました。
日本の教育で育ち、日本で保育・教育に関わっていると無意識に共通点がある前提で話していることがあり、それを取っ払うことで自分自身もイチから見直すきっかけをもらうことができました。
海外の保育に目を向けることは、国内にない方法やメゾットを知ることに加えて、今まで当たり前としていたことを見直す機会をもらえる点に意義がある。これまで自分が信じていたものを確信するきっかけにもなりました!
断片的にでも、みなさまに届きましたでしょうか。。。。
自分でも何が言いたかったのか見失って整理ながら進めました。
辛口でも感想をもらえたらしっぽを振って喜びます!
長文にお付き合いいただきありがとうございました☆