世の中にはモンテッソーリ、シュタイナー、コダーイ等 教育についていろいろなメソッドがある。
それぞれに関わる保育者がいて、子どもがいて、賛成があっても否定的な意見があってもよい。賛成ばかりだと、そこに落ち着いて物事が動かなくなるから。このメゾッドのここは好きだけど、この点についてはこっちの方が....なんていろんなメゾッドのいいとこ取りだって全然ありだと思ってる。
幼児教育を複雑に考えすぎだろ!子どもは食って、遊んで、クソして、寝りゃいいんだよ!っという一見乱暴な私のおじちゃんの意見も全然OK!!
ただ時々、専門家によって特定のメゾッド(実名は挙げないが具体例を出して推測できる)が否定的に書かれている記事を見ると、なんだか複雑に思うことがある。
同じねらいをもった保育でも、アプローチが違うのは自然なことだ。いくら保育者が良いと思った保育でも、場所が変わればそのまま実践はできない。場所が変われば、子どもも変わって、環境だって違う。ましてやそこに宗教の違いや文化の違い、また親たちが受けてきた教育との違いがあれば受け入れてもらうまでにとても長い時間を要する。少しずつ噛み砕いて進めて行くのか、目的は残したままやり方をガラッと変えるのか、アプローチは無限大。
この前SA-CUSのはなしをした時のブログでもイノベーション=組み合わせって話をしたけど、保育者が実践している保育の良いとこ同士を組み合わせてみたら、あら?これって他の保育と考え方が一緒じゃないかとか、あり得る話。
みんな子どもたちの自立や幸せを願ってて、ざっくりとだけどゴールに立てて旗は一緒。
良いと思うメソッドがあってもいいし、それに自信をもって研鑽することは素晴らしいと思う。私自身、今まで参加させていただいたセミナーから今まで持っていなかったたくさんの気づきや発見をもらっている。でも、他を否定して我を立てる方法を取ったんじゃ面白くない。否定は大歓迎です。変化の可能性があるってしるしなので。でも、否定をして高め合わないと。
.....なにが言いたいのかまとまりねぇーなって声が聞こえてきます(笑)
えーと何がいいたいかと言うと。
みんな違って みんないい!
ということで、今回の写真は多様性で溢れるNYCです。
( ↑こんなまとめ方ですみません...)