子どもの気づきは忘れた頃に。
小学校の時、
運動ができる、歌がうまい、絵が描ける、
と人生得をすると信じていて、3年生くらいから「今からやっとかなきゃ!」って気持ちに駆られ、特別合唱クラブ(4年生から入れる)入部。ミニバスケットボールクラブに入る傍ら、自分で走ったり縄跳びしたり。そしてひたすら漫画と読み、真似るをしてた。
おかげで今もたま~に結婚式のウェルカムボード作りをさせてもらったり、社会人になった後もよさこいチームで踊ることができた。
卒業文集には尊敬する人「尾田栄一郎」って書いて、コミケへ参戦してタウンページみたいな分厚いカタログ持ってウハウハしてた。
あの時はなんの疑いもなく3つのことを信じて猪突猛進だったなぁと。そしてそれをできたのは親の理解があったからだとつくつづく思う。
雨の日に「走りに行く!」ってビジョビジョで走って、次の日高熱で学校休んだ日も「昨日の雨ランが原因ね」と一言言って、嫌な顔せずに看病してくれたお母さん。貴重な休日に未成年を連れて、はるばる東京ビッグサイトへ来て分厚いカタログやグッズを持たされ、それでも「来年はどうする?」と聞いて来てくれたお父さん。女一人でインドへ行かせてもくれたし。
でも実際そのありがたさに気が付いたのは、高校生以降だったと思う。
今回言いたいのは、子ども自身の気づきは忘れた頃にやってくるということ。
手紙を送り合いが、メッセージの送信になり、ほぼタイムラグなしでコミュニケーションができるようになり、注文した商品が即日中に届き、調理の課程を減らした中食がブームになったり。いろいろなことが時短化されているけど。
物の価値や意味、ありがたさなんて後々経験を重ねて分かること。
去年から噛み付きが止められなかった児から今日「噛んだらいたいからダメなんだよねぇ」の一言を聞くことができて「やっとかぁ~」「先生ずっと言ってたじゃん!」という思いと「good job!」で、なんとも嬉しい仕事終わりでした。
嬉しくて久しぶりに真面目にお絵かき。ママの化粧品でいたずらしてた甥っ子。
あー楽しい。