とことこ保育

人生で間違いなく大切な乳幼児期

緊急事態宣言解除後の一週間。

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あっという間に2020年も折り返し。

1月からいろんな事があったはずなんだけど、過去2か月間に起きた出来事に記憶がすべて乗っ取られてしまったような感覚にもなりますね。

 

25日に緊急事態宣言が解除になり、一週間が終わり、

楽しかったよ。でも疲れた。

嬉しかったよ。でも筋肉痛。

 

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緊急事態宣言解除翌日26日、4月に数日登園して以降初めての園。園に来ることを心待ちにしていた子、お母さんお父さんとの分離に涙を見せる子、「いってらっしゃい」とバイバイをした後に堪えてた気持ちが溢れる子。それは毎年4月にあった光景のフラッシュバックみたいで、日常が返ってきたことの嬉しさと気を引き締めなきゃなぁという思いが交じり合ってる感じだった。

 

抱っこを求めてきた子を片手で支えて、他の子に一から伝える靴箱、ロッカーの場所。ズボンの裾を掴んで電車ごっこをしたままの子もいて、先生それぞれが民族大移動をしているようだった。

 

それでも、この日の朝の会が始まる頃にはほとんどの子が泣き止み、新しい先生が読み聞かせる初めての絵本、初めての玩具に笑顔も見せていた。楽しそうな姿を見せてはいたものの、ふとした瞬間に膝の上に座りに来たり、トイレに一人で行きたがらなかったり、不安の種を感じることも多くて隣にいて、独り言みたいに話して、たまに会話をして。フィジカルに寄り添うことを意識した一日だった。

 

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次の日は、泣いて登園する子が増えた。一日目を経験して園に来た後に何が起きるのか見通しがついてきたのがひとつの理由かなと思う。両ひざにそれぞれ子どもたちが座り、ジャージの後ろポケットに手を入れてる子がいる状態で、おままごと遊びに入れてもらった。

 

この日は本当に聖徳太子になりたいと思うほど、すでに覚えた私の名前を呼んで、たくさん話しかけてくれる子がいて、遊びに誘ってくれる場面も出てきていた。一方で一緒に遊ぶわけではないけれど、ただ隣にいたいなという様子を見せる子もいて、おままごと遊びに誘ってくれた子にデリバリーをお願いして、子どもたちにピザを運んでもらった。

 

2日目にしてすでに感じたのは、自粛期間10名前後の子どもたちと数名の保育士で過ごしていた時にくらべて、園にくる子どもたちの人数が増えると「.....しないでね」「.....しないと~ちゃうよ」という声掛けの回数が増えるなぁという実感。それは自分自身が意識的に変えなくてはいけない気づきであり、気持ちに余白を持っておくことの大切さ。

 

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週の後半に入った木曜・金曜は子どもたちにも疲れが見え始めた。変化があるということは大人子ども限らず、それだけエネルギーを使うということ。普段は午睡をしない子が昼食中にコクリと首をもたげたり、先生の膝の上に頭を乗せてみたり。もちろん園庭遊びの時、集中して遊んでいる時は100%のエネルギー。でも突如として0%に近くなり充電が切れてしまう姿を見て、可愛らしいなぁと思うと同時に、子どもたちも久しぶりの日常に戸惑いながらも頑張っているのだなぁと思い、その日の午後は部屋の一画にマットを広げてゴロゴロスペースを作った。

 

この頃になると解除後すぐは泣いて登園していた子どもたちも、自分で部屋へ入ってきたり、自分で遊びを見つけて子どもたちの中へ入っていく姿が見え、ほっとした気持ちにもなった。ここで土日を挟んでしまうことが少し惜しい気もしたが、そこはお互い休むべきとこよねと考え直した。きっと月曜に先週始めのような姿に戻る子もいると思うが、それはゼロからではないはず。

 

 

この週末は去年参加したGTP-Kindergartenの報告会のサポートに携わり、現役保育士の方の話やこれから先生を目指す学生さんたちの話を聞いてこちらもパワーをもらった。でも、それは若いからではないし、学生だけじゃないぞー!という気持ちでカナダ留学の話も進行中です。

 

さぁ明日からの一週間はどうなることやら。結局わくわくしてるね。6月は祝日がひとつもないぞー!(笑)

【保育の振り返り】緊急事態宣言最終日に。

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今日の登園人数は10名。神奈川・北海道は解除基準より高い感染者数を出しているものの、明日からの緊急事態宣言解除はほぼ確定事項になったため、朝から職員全体で会議を行い、明日から本格的に子どもたちを迎える準備の一日となった。

 

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『明日からみんなくるのー?』

と、クラス部屋やトイレ掃除を行う先生たちを見て楽しみに待つ様子を見せる子どもたち。一方で『げぇー。園庭がまたいっぱいになっちゃうじゃん!』と、年長児は惜しむ気持ちも口にしていた。

 

この約2か月間、一人で複数のボールを使っても、大縄をいっぱいに伸ばして遊んでも、園庭のど真ん中に捕まえてきた虫のために大きな "虫の町" を作っても、誰かの遊びを妨げることなく遊べていた。園児が100名を超える大規模園で毎日を過ごしている子どもたちにとってそれは特別な時間だったのだと思う。

 

それは子どもたちだけでなく、保育者も同じ気持ちだったようで『こんなに園庭を独り占めできるのは今日以降しばらくないかもしれないぞ。何したい?やりたいことをやろう。』と、子どもたちのリクエストに応えてリレーや鬼ごっこ、野球を次々と行っていた。気温が高かったこともあり、30分遊ぶと大人も子どもも汗だく。急激な気温の変化についていけない身体のだるさを感じながらも『今日まで』という思いと共にめいっぱい遊んだ。

 

緊急事態宣言が発令されて、ドロドロしたマグマみたいな気持ちが前に出てしまうこともあったけど、園で過ごすことについてはこうやって終わりを意識することで、今をいっぱい楽しめたのではないかとも感じている。

 

最後、早番の先生が帰るときに『明日からようやく◯◯組の生活スタートだね。改めておめでとう』と声をかけている先生がいて素敵だなと思った。

 

新年度になりすぐ緊急事態宣言が発令され、入園式などの行事もキャンセル。進級を肌で感じる時間がほとんどなかった子どもたち。もう◯◯組だよと言葉では伝えられるものの、実感はあまりなかったのではないだろうか。先生が『改めておめでとう』と声をかけたことで、子どもから『明日は◯◯組の部屋に行くのー!』と声が聞こえたり、子どもの中でもこのイレギュラーな生活の終わり、そして新しいクラス生活のはじまりに少しだけ見通しがついたんじゃないかなぁーと感じた。

 

職員同士で話すと、明日からうん十人も子どもがくるなんて信じられないし不安だわーという声も上がる一方で「まぁ子どもは来てみないとどんな様子か分からないし、ドタバタだよ、きっと。みんなでどうにかしよう」という声も。大丈夫ではなく、どうにかしようという言葉がより力強く感じてやる気をもらった

 

明日は年少組のサポートからスタート。同じ敷地内にある保育園棟からの持ち上がりの子、新入園児。職員が言っていた通りバタバタだろうな。感染のリスク等はもちろん拭えないけれど、明日は待ってたよという気持ちで迎えたいな。

 

【保育の振り返り】戦車と飛行機と子どもたち。

 

今日は子どもと一緒にひたすら楽しんだ。6時間だけ12名の子どもと。

 

私が今月から勤める園は、男性保育士の人数が多く今日保育を行った先生は私以外全員男性。性別+保育士と言うことに抵抗もあるし、感じていることがはたして性別の違いから来ているものなのかはっきりとは分からないが、それがとても面白い。

 

お昼ご飯の時にBGMに選んだ曲はマキシマムザホルモン。最終的に子どもたちに「この曲うるさーい!」と言われて、改めて流し始めた曲は星野源の「地獄でなぜわるい」だった。個人的に私もstranger辺りの星野源が好きだ。でも、私だったら絶対保育の場に選ばないチョイス。こういう曲はお腹の底からズンズン音が弾むから、お腹が動いていっぱい食べられるらしい。面白い


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保育士の人数にゆとりがある時は、園庭の遊具を直したり、電動ドリルやペンキでDIYに勤しむ姿も見かける先生たち。一昨日から続く雨天で、室内遊びの傍ら子どもたちと仕上げた作品が圧巻だった。

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子どもたちも大興奮。そして今日は午前中外遊びをたっぷり楽しんだ後、午後はみんなでこの戦車と飛行機に色ぬりをする予定でいた。

 

昼食の時間から子どもたちも先生たちもわくわくしているのが伝わってきて、

「どんな色が合うかな?」「何使って塗ろうか?」

「長袖は脱いで全身でやろ!」

「多少ベタベタになっても大丈夫だよ」

と話が膨らんでいた。が、みんなが楽しそうに午後のアクティビティの話を進める中、一人だけ

 

「ぼくはさ、やらない」

「じーって、ご本読んで見てる」

と心配そうに伝えてくる3歳児 Aくんがいた。聞くと、色鉛筆やクレヨンは大丈夫だが、絵の具や粘土を使った製作を嫌がる姿があり、触れるものの、そのあと頻繁に手を洗ったり、絵の具が洋服に付くと目に涙を貯めて訴える姿もみられるそう。

 

今日はお迎えの時間も普段より早く、それも気になっているのかなぁと思いつつ

「無理にしなくてもいいんだよ。みんながやってるのを見て、その後やるか決めてもいいし」と伝えるとうなずいて応えていた。

 

昼食を終えて、色塗りの時間になった。みんなが靴下を脱いだり、袖をまくったりして準備をする中、

「やっぱりやらない.....。」とつぶやくAくん。

でもその言葉とは裏腹に、観察をしていると、着たい子にオプションとして用意していたビニール袋のスモッグを触ってみたり、準備をしている友だちの姿をじーっと見たり、本当にやりたくないわけではない?と感じるような姿が見えたので

「とりあえず袖まくってみようか」

と促すと、嫌がることなく腕を差し出してくれた。

「じゃあ靴下も」

と伝えると、スッと脱いで指定された場所へきちんと保管。

 

ふでを運ぶときのポイントや注意点などを伝え、「じゃあ始めるぞー!」と先生が声をかけると「先生と一緒に行く.....。」と言いながら、自分からブルーシートのエリアに足を踏み入れて参加し始めた。

 

パパの影響もあり、選手の名前と背番号をほとんど覚えているくらいジャイアンツファンのAくん。絵の具の中にオレンジ色のジャイアンツカラーを見つけると一瞬で目の色が変わった。

「これがいい!」

とオレンジ色を指さすとふでを握って、飛行機のところに向かっていった。そこからは時々「先生、ここにいて」と声をかけてくるものの、オレンジ色以外の色も試して静かに、でも楽しそうに戦車と飛行機の間を行ったり来たりして自分で手の平に絵の具を付けて遊んでいた。聞いていた話と異なる姿にビックリだった。ママがお迎えに来た時も「まだおわってないから」と少し待ってもらうようにお願いするほど集中していた。

 

誰一人Aくんの過去の姿から「この前も.....」とか「もう年少さんだから.....」みたいな声掛けはせずに彼のタイミングを意識して対応をしていたこと、そして保育者も子どももみんな生き生きしているその場にいれたことが嬉しい日になった。先生たちは自分たちが組み立てた戦車と飛行機に子どもたちが色を加えてくれることを喜んでいたし、子どもたちも「これ、先生たちが作ったの!?すげぇー」と驚きながら大きなものに自由に絵の具を使える楽しさを味わっていた。保育士さんの得意と子どもたちの面白そうが相まって、すごく居心地の良い空間だった。


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最初はふでを使っていたこどもたちも、次第にふでを使って手の平に絵の具を塗り、ハンドスタンプ。絵の具を塗った手で子どもたち同士ハイタッチをしてお互いの色を混ぜて新しい色を作ったり、「見てー!」と自分の塗ったところを見せあいっこしてて。そういう姿を見て、あーこういうのいいなぁ。って改めて感じた一日でした。

グリーングリーンはママの曲だった話。

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今月から子どものいる環境に戻った。一カ月ぶりに身を置いてみると改めて気づくことが多くて自分でも驚いている。私が今働くところは同じ敷地内に保育園と幼稚園があり、現在幼稚園は休園、保育園は感染防止策などを示した上で利用を考えていただくように呼びかけ、15名前後の子どもたちが登園している状態だ。

 

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3月まで勤めていた園は小規模園でピアノがなく、リズム遊びや歌は主にiPodやCDを利用して行っていたが、現在の園は年長による鼓笛隊演奏もあり音楽に力を入れている園。ピアノを弾く機会も多そうなので、久しぶりにピアノの教本を開いてみた。

 

そこで見つけたのがグリーン・グリーン。明るい曲調の割に歌詞の内容が悲しくよく覚えている曲だ。

 

作詞・作曲を見るとアメリカがオリジナルの曲。原曲を調べてみた。

 

www.youtube.com

 

歌の出だしから あれ?パパじゃなくてママ

 あれ?

歌詞がまったく違う。

 

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 【日本語】

ある日パパとふたりで 語り合ったさ

この世に生きる 喜び そして 悲しみのことを

 

【英語】

Well, I told my mama on the day I was born
Don't you cry when you see I'm gone
You know, there ain't no woman gonna settle me down
I just gotta be travelin' on

 

僕が生まれた日 ママに言ったんだ

ぼくが離れても 泣いちゃダメだよって

ぼくは女のためにとどまらないし ただ旅を続けるだけさ

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訳詞をした方を調べてみた結果、これは訳詞ではなく作詞だった。日本語の作詞をされたのは「とんでったばなな」「勇気ひとつを友にして」も作詞した児童文学者の片岡輝さん

日本語版の詞は片岡輝が担当し7番まで存在するが、これは原詞の翻訳ではなく独自に作詞したものである。片岡輝の詞には「パパ」が頻繁に出てくるが、原詞にはパパは一切登場せず、出てくるのはママのみである。片岡は 教育芸術社のインタビュー記事の中で「ふと、日本の歌の中には、親子の心を通わせるような、特にお父さんをテーマにした曲はあまりないなあと思ったんですよ。」と語っている。

日本では片岡輝の作詞により父と子の対話と別れを描いた作品として知られており、学校での教材にも使用されている。歌詞中にある、“二度とかえって来ない遠い旅路”に出かけた「パパ」の身上に何が起こったかに関しては様々な解釈が存在するが、作詞した片岡輝自身は読み手がどう解釈するかは自由である*との発言をしている。

*『シリーズ・インタヴュー 音楽を語ろう』教育芸術社、2005

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3#cite_ref-2

 

グリーングリーンの原曲も時代背景を反映している側面があり、この曲が生まれた1963年はマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が I have a dreamと歴史的な演説を行った年。1960年代は徐々にアメリカがベトナム戦争に介入し始め、既存社会への反発やそれに伴う学生運動が激化してる頃だった。ヒッピーも呼ばれる伝統や文化から解放され自然回帰を目指す若者も出てきて、その頃の社会に反発しフリーセックスや各種差別の撤廃、ドラッグ解禁やヴィーガニズムの動きにも影響されていたようだ。

 

Nah, there ain't nobody in this whole wide world
Gonna tell me to spend my time
I'm just a good-lovin' ramblin' man
Say, buddy, can ya spare me a dime?

 

僕に自由に生きろと言ってくれる奴なんて

この世界に誰もいないのさ

ぼくは愛に満ちた放浪者 なぁ相棒

10セントを貸してくれないか?

 

 

そういう事実を知ると、曲の印象がガラリと変わる。

 

 

最近、きゃりーぱみゅぱみゅさんの件や検察庁法の話を見聞きして、発言することについていろいろ考えるが、

 

グリーングリーンのように日ごろ歌っている曲にも背景があり、物事それぞれに歴史があり、そう考えるとこれまですーっと続いてきた流れがある中、現状しかほとんど知識のない自分がコメントすることは浅はかなことなのかとも考えてしまう。声を上げることの大切さに賛成する一方で「自分のこの考えを他人とシェアしたらどうなるだろうか.....。どうやって、どんな言葉で伝えるのがよいのか。」そんなことを止めどなく考え言葉を内に留めたくなることもしばしば。

 

 

 でも考えてみると、歴史やカカオ豆からの精製方法を知って日頃チョコレートを口にしているかと言ったら申し訳ないがそうではない。知識としてカカオ豆を生産する人たちの労働環境や輸入に伴う問題の話は知っているが、その程度。そんな私が「チョコレートはうまい!」とつぶやくことは浅はかなのか。もし、みんながチョコレートの背景にある貧困や児童労働を知っていて、そこに対策を行うメーカーを知っていたら「フェアトレード」なんて言葉をパッケージに表記する必要はない現実があったかもしれない。

 

「チョコレートうまい!」と政治や人権に関する発言を並べて考えるのはナンセンスかもしれないけど、いけないのは発言する内容の重要さや自分自身が社会の一員である事実を置いてけぼりにして、感じたこと・思ったことを突発的に発信してしまうことかなと思う。

 

そんな私のむにゃむにゃをビジュアル化してくれたのがこの一冊。

個人的におすすめします。

 

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こんなパロディも個人的に好き。DOMOくん!

www.youtube.com

 

Global Teacher Program-Kindergarten 報告会。

 

ちょうど一年前、国内のいろいろな都市を回って報告会をした。

東京をスタートして、川崎、名古屋、札幌、私は参加できなかったけど大阪や福岡もやったね。今も関わりが深い人たちとの出会いがたった一年前とは感慨深い。

 

さて。私が一年前国内を回ったきっかけ。それは『Global Hoiku Camp (旧:Global Teacher Program-Kindergarten)』海外の幼稚園で先生になる2週間のプログラム。

 

保育学生と現役保育士でチームを組んで、現地の幼稚園でアクティビティを計画・実行・振り返り。このプログラムを通して、園だけでなくストリートチルドレンや孤児院、私立と公立の学校も訪れ子どもたちを取り巻くさまざまな環境に触れることができた。私個人としては、国家試験で保育士資格を取ったため、実習が未経験。保育学生と交流をする機会がなかったため、一緒にひとつのことに取り組み、意見を交わすことができた点は大きな収穫だった。

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今回は、今年行われた第3回に参加したメンバーによる報告会。私が参加した時は保育学生と現役の保育士が半分ずつ参加していたが、今回は保育学生だけというまた違った経験になったよう。

 

子どもたちの身近にいる大人がいろんな体験をしているって、先生である前にすごく大切なこと。このプログラムがそのきっかけになればそれはすごく素敵なことだと思う。参加する・しないとかは二の次。少しでも興味があればまずは「知って」みましょ。

 

はじめてのオンライン開催。詳細は下記のリンクから。

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facebook.com

 

【保育の振り返り】苦手な食べ物とアプローチ。

 

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 2歳~5歳児みんなで給食(お弁当)の時間。今日のメニューは、

 

・ジャムサンド

スナップエンドウのドレッシング和え

・トマト

・豆腐グラタン

・リンゴ

 

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普段はお弁当の蓋を開けると黙々と食べ始める5歳児 Cちゃん 2歳児 Dちゃんの姉妹だが、今日は揃って進みが遅い。様子を見る限り原因は角切りになって入っていたトマト

 

「どうしたの?」と声をかけてみると

「トマトが嫌.....。」

とお姉ちゃんのCちゃんから率直な応えが返ってきた。

 

「トマトの何が嫌?」

「味とぐじゅぐじゅ(とした食感)。」

 

 

「あぁーそっかぁ」と口にして答えながら、どう対応しようか考える。

 

汁気のある食感が苦手なら皮に近い部分を食べるのではないかと考え、提案するも

「いや」

他のメニューと一緒に食べることを提案すると、

「一緒じゃなくて、べつべつがいい」

他のメニューを先に食べてみることを提案して、ようやく妹のDちゃんがジャムパンに手を伸ばして食べ始めたが、どの方法もCちゃんとDちゃんの心には響いていない様子だった。

 

 

考えた末、決定権をトマトに与えてみることにした

「じゃあトマトに聞いてみよう。先生の口に来たい?それともC・Dちゃんの口?」

耳を近づけてトマトの言葉を聞き取ろうとジェスチャーする私を見てにやける2人。

「なんて言ってる?」

「トマト、Dちゃんのくちだってー!」と、Dちゃんが口にしたので、ここ!と思いトマトを近づけてみるが受け入れてもらえず。

 

次に魔法の力を使ってみた

「C・Dちゃんさ、Eくん魔法のパワーを持ってるの知ってた?」

と声をかけて、トマトが食べれない2人の一連の流れを隣のテーブルで見ていた5歳児 Eくんに助けを求めてみた。

「このスプーンの上にトマトがあるでしょ。先生が目を閉じて呪文を唱えている間にEくんこのトマトが消せるんだって。」

私の言葉を聞いて、状況を読み取ってくれた 5歳児 Eくん。

「できるよ!」

と言うと、魔法の使い方をデモンストレーションしてくれた。

ちちんぷいぷいの、ぷい!」と私が目をつぶって呪文をかけている間にEくんがスプーンの上のトマトを一口ぱくり。私が目を開けた時にはスプーンが空になっていた。

 

「それ魔法じゃないし!」と言いながら笑っていたCちゃんとDちゃん。

「魔法じゃないけど、美味しいよ」と、2人に声をかけてくれたEくん。

 

その後、CちゃんとDちゃんが自分たちからトマトをすくって食べてみようとはならなかったが、トマトを前にしてフリーズしていた最初の不安感のようなものはなくなっていた。

 

ここに来て姉 Cちゃんが「小さくすれば食べられるかも.....。」とポツリ。

「自分で小さく切れる?」と声かけ。お箸とフォークを使い、なかなか切れない皮の部分に苦戦しながらも切り進めていたCちゃん。

 

この時、私は妹のDちゃんもお姉ちゃんと一緒なら食べられるかもと思い、トマトを小さく切る仕事をCちゃんに任せ少しの間目を離していた。

 

しばらくして小さくできたー」と言うCちゃんに顔を向けてみると。

 

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そこにはトマトピューレがあった。彼女の中でこれなら食べられると思う大きさが私の想定していた以上のミクロサイズだったようで、流動食みたいになっていた。

 

やっちゃったなぁ.....という気持ちになった。姉 Cちゃんはピューレになったトマトをスプーンで混ぜてみたり、持ち上げてみたり、その姿を見ていた妹 Dちゃんも形状の変わったトマトに興味が移り「食べる時間」という雰囲気ではなくなってしまった。

 

妹 Dちゃんはお姉ちゃんの影響も受けてるかもしれないし、場所を変えて食べられる友達と一緒にしてみるのもいいかなーと、他のアイデアを巡らせている間に、

 

「Cちゃんたちが食べてるの先生見たことあるよ。食べれるでしょ?」と、去年妹Dちゃんの担任だったという先生がやってきた。

 

「ほら、がんばれー。食べれるよー」

と、2人の横に座りその先生が一言声を掛けると、きちんと座り直し2人とも食べ始めた。表情は曇り気味だったが結局、トマトも他のメニューもすべて食べ終わり、その後何事もなかったように遊び始めた。嬉しそうに食べられた報告もしてくれた。

 

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これもひとつOKな結末なのだろうな(か?)、いろいろ考えを巡らせて辿り着いた終着点はここかぁという気持ちが隠せなかった。

 

5月から一緒に子どもたちと過ごし始めて、私と子どもたちの間に信頼関係がまだ十分にあったわけではないことは重々承知の上、でもなんだかモヤモヤ。

 

子どもたちがどう考えて、苦手と言っていたトマトを食べ始めたのか、私(この先生)なら食べなくてもきいかもという気持ちもあっただろうし、納得していたのか分からないが全部ひっくるめて次に繋げたいと思うお昼ごはんだった。今回のような場面に出会うのは初めてではないし、経験するたびに、苦手な食べ物についてはその場で食べられるか食べられないかの問題と捉えてはいけないなと思う。

 

そう思う一方、様々な食材を試して食べることを楽しめるようになってほしいという願い、一口食べることができたらトマトの印象が変わるきっかけになるかもという期待も捨て切れずにいる。でも、そこまでして食べなくちゃいけないのかという疑問もあるのが正直なところ。

 

よく言われるように正解はないが、今回の場合は、今日食べられなかったね。で後日、食べ始める前の環境設定から作り直してみる方法もあったのではないかと考える。

 

もしくは、トマトはこれから夏野菜としてよく目にする食材だから保育活動に盛り込んで長い目で見るのもあり。

 

こういう場面は何度立ち会っても試行錯誤が止まらない。

 

SNSで知り合った保育士さんが薦めていた「徹底して子どもの側に立つ保育」という書籍の実践例に同じような場面があったなと思い返し、読み返してみることにした。

 

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【保育の振り返り】4・5歳児 ケーキ作り。

 

4・5歳児と園庭の砂場でケーキ作り。

しっかりと砂をバケツに押し入れて、形を作るのが上手な5歳児 Aちゃん

なかなか思い通りの立体形ができない4歳児 Bちゃん

 

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バケツに砂を入れて押し固めることが難しく、なかなか立体のケーキが作れないBちゃん。数回チャレンジしたところで

「先生やってー」と、Bちゃんから私にお願いがきた。隣で同じようにケーキ作りをしていたAちゃんは既にひとつケーキを完成させていたので、子ども同士で学び合う機会になると思い、「うし、Aちゃんがどうやっているのか見ながら一緒にやってみよう」と促してみる。

 

Bちゃんと私のやりとりを聞いていたAちゃん、自分がお手本になっていると気づいて

「こうやって......あっ、そうだ!そのあとはこうして......。」

とこちらを意識して、声を出しながら遊び始める。

 

AちゃんとBちゃんが直接声を掛け合う姿はなかったものの、しばらくAちゃんをチラチラ確認しながらバケツに砂を詰めていたBちゃん。AちゃんもBちゃんを意識している様子。しかし数分経ったところで、

 

「やっぱりBちゃんはジュース作ってくるから、これ先生やっておいて!」

と、砂が1/3くらい入ったバケツを残して水道の方へ走って行ってしまった。

 

正直、できなかったことを友達から学んで、最後までやり遂げてやったー!ができたらなと考えていた私としては残念な気持ちもあったけど、それは私のゴールであって彼女のゴールじゃないなと思い直し、私はBちゃんに託されたバケツに砂を押し入れる任務を遂行することにする。

 

しばらくしてジュース作りを終えて帰ってきたBちゃん。

「先生、ケーキできた?」

「うん。あとはひっくり返すだけだよ。Bちゃんやってみる?」

「......いいや、先生全部やっていいよ」

「えー、先生Bちゃんと一緒にやりたいんだけど」

「えー、じゃあ Bちゃんはクルって(ひっくり返)した後ポンポンってするよ」

そんな会話を終えて、結局Bちゃんが行ったのは、最初の数分バケツに砂を入れて押し固める作業と、最後ひっくり返した後のポンポンだけ。それが終わるとまた水道に新しいジュースを作りに行ってしまった。

 

それを見ていたAちゃんが

「Bちゃんはケーキ食べるのが好きなんじゃない?」と一言。

たしかに。ケーキを食べることを期待してBちゃんが作り始めたのか、作る過程を楽しんでいたのか分からないなぁーと子どもから学ぶ。もし、そうなら完成したケーキを見せたらまた違う反応があるかもと思い、ひっくり返したバケツを抜いて綺麗に型の取れたケーキができたことをBちゃんに報告してみる。

 

すると戻ってきた。しかもジュースだけでなくデコレーション用の葉っぱを持って。

「これをケーキの上に乗せるの。先生はろうそく探してきて」

 

黙々とケーキを作っていたAちゃんも

「待って、わたしもろうそくとりいく」

と、今度はBちゃんに刺激を受けてAちゃんもデコレーションを始めていた。

 

ケーキを作ることから、Bちゃんの意識が離れたわけではなく、ケーキ作りの過程を頭に思い浮かべて次の準備をしていた様子。ジュース作りもケーキに関連した準備のひとつだったようだ。ケーキの型作りは、私がやった方が成功するだろうと、Bちゃんの中で適切な役割分担をしたのかもしれない。

 

最後は、出来上がったジュースとケーキを前にハッピーバースデイの歌を歌い、2人で盛大にケーキを壊して終了。

 

砂場遊びを見ていて、Bちゃんがケーキ作りの過程を知っているように見えたので、その後の昼食の時間に「本物のケーキ作ったことあるの?」とBちゃんに尋ねると応えは「わかんない」だったが、4年間のどこかで体験したことが繋がってたんだろうなぁと想像。

 

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約1か月程、子どもたちから離れてみて。結局「~だろうなぁ」しか言えないけれど、一緒に過ごして行う、こういう振り返りがとても新鮮だった。これがたった20分程の出来事だから、そりゃ一日の終わりには疲れもあるわと思いつつ、面白いなと改めて感じるのでした。