とことこ保育

人生で間違いなく大切な乳幼児期

日本語をリライトしたら、たった3文に5種類の解釈。いや、きっとそれ以上。

 
正直、内容はこれから日本語教師の資格取得を目指す人向けという感じで、コース説明などに費やす時間が多い印象でした(そういう団体が主催していたものなので当たり前ですが)が、収穫はやはりそこに集まる方々の話が聞けたり、意見が交わせたことですね。
 
今日はリライト法を実践しました。
国語の教科書に載っている内容を短文化したり、簡単な日本語に直したり、文化的な背景のある一文は時に省略して、日本語を母語としない子どもたちがより理解しやすい、アプローチしやすいものへと変えていくことを指します。
 
これが思っていた以上に難しく結構悩みました。参加者の間でもどこまで簡略化して、どこまで残すのか議論があり、子どもたちの生活に近い言葉を選び言い換えたり、主語を付けた文章に変えてみたりと試みますが、結果的に主語が長くなったり、文化的に理解が難しい表現部分を省略するも、次の段落で必要な情報だったりと普段話している日本語がどれだけ複雑かに気づかされます。
 
5人それぞれ同じ物語の同じ段落をリライトして、その後作った文章をシェアをしましたが全く同じ表現はゼロ。たった3文程の短い段落でしたが、これだけ捉え方が異なり、表現が違うと日本語の豊かさにも気づかされたり。
 
子どもたちの習得具合や学習目的、自国の文化的背景など本当に様々な要素が加わっていると感じたと同時に、言葉の奥深さに圧倒されます。アイデンティティは幼少期に形成され、固定されるものではなく流動的なんだという捉え方も自分の中に生まれました。これは詰めるとかなり長くなりそう。
 
当分は日本語教室のサポートをしながら、実際に日本語を学ぶ子どもたちを肌で感じたいと思います。
 

熊のニュースからおじいちゃんと間について考えた。

 

f:id:mekabu6256:20190905212725j:plain

人里への熊の出没が多発しているという記事を読んで。
 
熊が人里近くに現れるようになったのは、
森林と人里の間にある中山間地域の境が
過疎化やそれに伴う高齢化と管理不足で曖昧になったからだと。
 
この記事を読んで『ゆっくりおじいちゃんとぼくという絵本を思い出して、同時に『』の大切さを感じました。
 
これは物理的なことに限ったことではなく感覚的な部分も。子どもも大人もパーソナルスペースがあり、初めて子どもと接する時は、いきなり近づくのではなく子どもたちの様子をまず観察してみるところから始めると思います。大人についても、仕事とプライベートにしっかりとボーダーを引きたい人もいれば、そうでない人もいる。SNSも毎日かかさずチェックする人もいれば、見なくてもOKな人がいる。それぞれ相手に対する『間』がある。
 
相手がいてこその『間』であり、
『間』は相手を分かろうとする気持ちだと。
 
もちろん過疎化や境目の不透明さも一因だとは思いますが、自然との境を超えて開拓し始めたのはいつからか?そしてその土地に住む他生物に対しての『間』や理解の意識が薄くなったのはいつからか。
 
小さい時に庭手入れ好きだった祖父が、手をかけすぎない。植物を待つ。って言ってて、それが祖父の考える自然との『間』だったのかなと今思う。きっとおじいちゃんなりの自然に対する敬意だったのかなと。
 

f:id:mekabu6256:20190905212750j:plain

ちなみに『ゆっくりおじいちゃんとぼく』は、いつも大忙しのおかあさん、おとうさん、お兄ちゃんお姉ちゃんたちに対して、いつもゆっくりゆっくりなおじいちゃんとぼくのおはなし。
 
私が生まれる何年も前、1979年に発行されてる。
古いけどなーんか新しくて好きな絵本です。
 
 
最近、個人的にもバランスを考える場面が多く、この絵本と熊のことが頭に浮かんだので備忘録。

【参加してきました】ベトナムの日本式保育から見つけたジェンガのピース探しの意味。

先週末は、保育語りBar主催ベトナムの日本式保育から考える日本の保育』に参加してきました。
 
まず会場となったうーたん保育園が素敵。

f:id:mekabu6256:20190902204349j:plain

庭に井戸があり、蝶々やカマキリはもちろん時にはアオダイショウも出てくるとか。ハーブや稲穂もあり、すぐ隣には公共の公園もあり、活動によって利用する場所を変えているそう。この保育園は特別養護老人ホームとの複合施設になっていて世代を超えた交流も頻繁に行われているようでした。温かい。
 
さて。そんなほっこりとした施設で行われた保育語りBar 第29回 『ベトナムの日本式保育から考える日本の保育』
 

f:id:mekabu6256:20190902204505j:plain

 

参加された方の半数近くは以前他の保育イベントでお見かけしたりお話ししたことのある方でしたが保育Barへの参加は実は今回が初めて。日本の保育をいろいろな視点から見てみようというコンセプトが気になり参加を決めました。
 
保育について、子どもたちについて話しているはずが気づけばベトナムの歴史背景や文化の話になり、子どもたちそして保育者・教育者と取り巻く環境がどれだけ密接にその国の文化や歴史に結びついているのかを自分たちが出した疑問から垣間見ることができました。
 
登壇者であり、ベトナムで日本式保育に携わる松井さんと中西さんがプレゼンの中で「30年前の日本の保育と言われている」と現地の様子を説明されているのを聞いて、比較・数値化の難しい保育の説明に数字を使うことに少し疑問が湧いたのですが、会の終盤に
 
・現場や国は今の保育に足りないものを見ている
・保育に先進と後進ってあるのでしょうか?
 
参加者の方の発言聞いて、あぁジェンガみたいなものかなぁーとイメージ。
 

f:id:mekabu6256:20190902204450j:plain

完璧にピースがハマって安定している保育や教育システムはなくて、どこかしらに抜けてるピースがある。どのピースが足りないのか、それは国や保育園によって違って、それがなんなのか、どこから学ぶ必要があるのか、それを探す道のりが今回のような会への参加だったり、「知る」ことの重要性に繋がるのだなと。
 
 最近はアウプットの場が減ってしましたが、対話することの心地よさを改めて感じる会でした。主催者・参加者の皆様ありがとうございました!
 
 
 
 

突然自由と言われても「えー...」ってなるよね。

どうも。最近、英語じゃなく日本語だったらもう少し使える子です。と主張したい気持ちになる真由子です。


今週後半は、園を閉めて職員研修(Staff Training)でした。子どもとの関わり方や保護者との関係性についてセッションをしたり、熱性けいれんのアセスメント行ったり、年間計画を練ったり、最後は園に欲しいものについて話し合い、それをDIYで作りました。

f:id:mekabu6256:20190831125019j:image
f:id:mekabu6256:20190831125135j:image

私のチームはSensory table!!久しぶりにジグゾーを握り、チームメンバーが最後まで完成させてくれました(私はシッティングで途中まで....)!すごい!

 

園の外ではリアル脱出ゲームをチャレンジしたり、今までの研修との違いに驚きがたくさん。

 


今までは玩具や食育のプロを呼んで講演を聞いたり、その後立食パーティなんてところもあったけど、今回は自分たちで進める研修という意識が高かったなと。


うん。面白かった!

 


Staff Trainingの中で、Process Artのアクティビティを行いました。

 

Product Artは、決められたステップや材料があり、お手本を元に進めるのに対してprocess Artは子どもたちが過程や使用するものから自分たちで選び、考えながら進めていきます。

f:id:mekabu6256:20190831124849j:image

それぞれProcess ArtとProduct Artのアクティビティを職員同士でやってみて意見交換。


みんなの話を聞いて、どちらが良い悪いではなく両方あって良いのだなーと改めて学ぶ。


両方やってみて職員の中にも、ある程度ガイダンスがあったりゴールが決まっている方がやりやすいという意見も、制限のない方が自由でよいという意見の両方があった。子どもたちの姿を想像してシェアしてみても、この子はこっちのやり方が好きかも、あの子はこっちかな?といろいろな見方が。


2つを掛け合わせた方法もあり、どこまで子どもたちをリードしてどのくらいオープンにするのか。それこそ自分が関わる子どもたちとの向き合い方によるなぁーと感じた。


普段、見本を見てそれに向かって作っている子に突然「自分の好きなものを自由に作って!」と言っても「えぇー....(何していいのかな)」となるだろうし、普段は自由に作ってるのに制限が入るとストレスを感じる子もいるだろうな。


いろんな選択肢が認められるべきだからこそ、保育者自身が引き出しをたくさんもっていて損はないなと思うのです。
 

なぜ『海外の保育をのぞいてみよう』をなぜやろうと思ったのだろうか。

f:id:mekabu6256:20190824220849j:plain

『海外の保育をのぞいてみよう』無事に終了しました!

最初は、参加者がいなかったら2人で報告会しよ♪なんて話していたのが嘘のように前日までご連絡をいただき、みなさんの行動力やコメントの力づよさに私もたくさんのパワーをもらいました。

 

保育に関わる方向けのオンラインコミュニティで出会ったYukiちゃん。

数いるメンバーの中で、海外の保育という共通点を発見して意気投合したのは今年に入ってから。実はイベント数週間前のミーティングで直接お会いしたのが初めてでした(笑)それまではSkypeオンリー。13時間の時差、画面上で見ていた人が目の前にいる感動は大好きなアーティストのLIVEでアリーナ席が取れた時と同じような感覚。

一緒にイベントを開催できたこと、そしてイベントを通した新しい出会いに感謝の気持ちでいっぱいです。

f:id:mekabu6256:20190824220946j:plain

 

そもそも、なぜ今回「イベントやりません?」と自分から言い出せたのか考えてみた。

 

自分でイベントを開催するなんて準備や告知、当日までの過程を考えるとなかなか踏み出せるものではないと感じていたし、自分に起きた今回の出来事がすごく不思議だった。

 

でも、一日考えてみて。それは今まで参加者として運営サポートとして参加させていただいたイベントにあることに気がつきました。

壇上する方、そこで出会った方々との繋がりがなければ今の働き方も、Edcamp参加も、GTP-Kindergartenもなかったかもしれない。

 

園の外へ目を向けることの大切さを常々話しているけど、ひとつ前の記事でもお話した通り、外に目を向けるというのは思っている以上にエネルギーが必要。

hoikutogether.hatenablog.com

 

保育園に勤務し始めた1~2年目は日々の仕事に追われて週末は休息の時間に充てないと、バランスが保てなかった。でも徐々に子どもや彼らによりよい未来を作ろうとする方々に出会い、お話する機会を得ることで、少しずつ、平日と週末の境が良い意味でなくなってきた。こういうところに「好きなことで生きていく」強みがあるのかなと感じています。

 

そうやって外に一歩踏み出す機会を与えてくれたイベントの数々。それが間違いなく今回の私のアクションを後押ししてくれました!

 

改めて.....今回参加してくださった皆様!そして参加を検討してくださった方々、SNSで反応をくださった方!本当にありがとうございました☆

 

牧場物語から感じた自分を取り巻く世界の狭さ。

f:id:mekabu6256:20190821160923j:image

牧場物語というゲームをご存知の方はいるだろうか。

 

自分の牧場を大きくしながら家畜を育てたり、野菜を収穫したり、牧場の周りにいる人々との交流を楽しみながら進めていくのほほんゲーム♪♪


 だが、大きくなって改めてこれをプレイしている時、自分の意思で動いている行動も実は育成ゲームや子どもの人形遊びのように他人に操作されているじゃないかと感じてビビったことがある。


自分で右へ行こうと思って右へ曲っても、実はその行動は他の誰かに遠隔操作されたものではないかと。


最近、金融やマーケティングの書籍を見るたび私たちの行動は何からの法則に沿っていることが書かれていて思わず、自分が自分のことを決めている範囲ってとても限られているのではないか。自分らしさって何じゃと考えてしまった。そしてこれらの法則をしっかり理解・習得している方にとってこの世界はより狭く、想定可能ものなのかもしれないなと。


私たちの暮らす世界は思っている以上に狭い。

そして子どもたちの世界も。


わたしの母はレーズンが嫌いだったので、家庭にレーズンをはじめドライフルーツが出ることはほとんどなく、小学生になるまでレーズンパンの存在を知らなかったし、


野球をする友達に出会うまで、野球は日本発祥のスポーツだと思っていたし、


カナダに行くまでピーナッツバターは甘いものだけだと思っていて、ピーナッツバター&ジェリーって聞いた時、正気か!って本気で思ってた。
 
これは決してネガティブではなく、むしろこれから増やしていきたいと思う感覚です。
 
でも、子どもは受動的に新たな刺激を提供してもらえるけど、大人は自ら踏み出す必要がある。そして、大人になるとこの一歩を踏み出すことに社会的な制約が出てくることもあると感じる。
社会人になってから大学で学び直そうと思っても、ある一定の年齢を過ぎると該当する金銭補助的なものはほぼ無くなるし、その後のキャリアに対する問題も大きなウェイトを占めてくる。


そう、

外へ向くということは時にリスクやコストがかかる
 
 
ただ、これに向き合うことで、自分がやろうとしていることが自分のこれからにどう繋がっていくのか、その価値は自分の中でどの辺りにあるのか、指標を持つこともできるので、私はこの数年ここを考えてました。

 

そして少しずつそれを行動に起こしていこうと考えてます。


これからも恐れずに一歩を踏み出していきたいなという気持ちも込めて、来月は大阪・新潟へ行ってきます。2つとも子どもたちに関わる講座やイベントに参加するため!

 

現在 GTP-Kinder (Global Teacher Program Kindergarten)の第2期メンバーが出発にフィリピン・セブ島で切磋琢磨しています。2019年前期、私も大きく影響を受けたプログラム。現地同行は叶いませんでしたが、遠くから応援してます!

 

子どもがブランコから落ちる瞬間を見て、演出家としての保育者を考えた話。

f:id:mekabu6256:20190811092715j:plain

先日、シッティング先の子どもたちと公園のブランコで遊んでいる時、お父さんに後ろから押してもらっていた男の子がブランコから落ちる瞬間を見てしまった。
 
男の子はしきりに「もっと!もっと押して!」とリクエストしていて、お父さんもその期待に応えようとブランコを押していたのだと思う。幸い、擦り傷程度で大きな怪我はなく、絆創膏を渡し、頭部など後から影響が出てくる場合もあるので様子を見ましょうと会話をして別れた。
 
この親子と別れて、シッティングを終えた後も「私だったら....」と考えた。
 
子どもの要望に対して何か行動を起こす時、保育者は演出家であると思う。
応える大前提として安全性があることを忘れてはいけないし、でも子どもの希望にも応えたい。
 
だから、私は子どもにお願いされた時、一定の力加減でブランコを押していない。一度「もっと!」とリクエストを受けて、一度振りを大きくしたら、子どもたちが気づかない程度に、徐々に弱めて次に「もっと!」が来た時、ピークとなる振れ幅は変わらないようにしている。ここまでなら安全だと、安全確保を任された私自身が意識できる範囲で調整をする。
 
時には、力加減は変えずにオノマトペで効果音を付けたり、速い乗り物や風を切るような動物の動きに例えて伝えている。
 
 
子どもがやりたい・保育者にやって欲しい事
保育者として確保すべき安全性
 
子どもと関わる中で毎日このせめぎ合いがある。子どもの要望を「〇〇はできない」「〇〇は難しい」と否定形で返す以外に、演出するという返し方も大切にしたい。
 
そして安全が確保された上での、楽しいであり、やってもらって嬉しいなのだなと私も学んだ出来事でした。