Why don't we look back on our way?? -日本の良いところは?-
※English’s below
着物ってやっぱよいなぁ。来年の目標は着付けを習う。決定。
日本のことを自分がどれだけ知っているかを問われると正直自信が
ケント・ギルバートさんの著書『
これには私自身思い当たるところがある。愛国心って言われると、
実際はテレビをつけると海外の辺境の地で頑張る日本人を紹介する
このギャップの正体は?
これは国民の投票率が低かったり、
最近教育にも同じことを感じていて、フィンランド、オランダ、
私たちの国の良いところも改めて見直してみない?と提案したい。
折り紙に、
掃除に、
挨拶に、
食に、
わらべ歌に、
オノマトペに、
災害への備えや教え、
私が理解を深めなきゃと思うほど沢山の素敵なところがあるはず。
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Honestly I’m not sure how much I know about Japanese culture and I wonder if it’s true whether only Japanese can’t put the traditional costume on by theirselves.
According to a book 『ついに愛国心のタブーから解き放たれる日本人(Kent Sidney Gilbert)』 when the author asked Japanese “Do you like your country??” Most of them answered “yes”. On the other hand, when he threw a question “Do you have patriotism??” Nobody said YES.
Personally I also imagine a loud propaganda cars of Japanese right wing and feel a bit offensive when I hear patriotism.That’s definitely not positive.Even though you can find some Japanese TV programs feature Japanese who work for foreign societies, acquire traditional skills.
Perhaps lower voting rate’s effected by this fact.
I’ve been feeling the same things on current Japanese education. Recently we’ve tended to focus on lifestyle, educational system from abroad especially from Northern Europe. I’m agree there’re many attractive effective ways for children. But I’d like to say,
Why don’t we reflect on our own way to bring up, teach children??
Origami,
Cleaning up,
Greeting manners
Foods,
Japanese lalabyes,
Onomatopoeia,
Security measures for disaster,(No children who were at nursery dead by Tsunami at the time of Tohoku earthquake)
There many things we should relearn and take over to next generation.
Edcamp川崎に参加してきました!
※English's below
"えんたくん"
いいですね。振り返りもやりやすい。個性が出る。
個人的には、書く作業に"他の人とシェアする"という役割が付く
今回は『Edcamp川崎』に参加してきました!
やっぱディスカッションって楽しい。参加ももちろんだけど、
『教育の未来は?』
『最初は同じような発表の仕方なんですけど、
そう話している先生もすごく楽しそう。
『面白いことに、
しかし未だに"自分の意見が言えない日本人" という現実は根深く、
これからどんな変化が起きるのか。
他にも「性教育」「海外進学の意義」「主体性」
Campなんだから、本当に夜までぶっ通しで話したいくらい。
素敵なイベントでした。委員長のKenjiさんはじめスタッフの皆さんもありがとうござ
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I took part in Edcamp Kawasaki and we were discussing about education.
What’s Edcamp??
Edcamp is an open space conference designed for especially teachers and needs. It has a agenda which made by participants and openly discuss about. That was 4th of Edcamp in Kanagawa pre.
To share the participants’ thoughts,there’re round cardboards to share so-called “Entakun”.That’s good tool to sharing, reviewing and can feel their character through their hand writing. It made us close even thought it was the first time to meet.
We were discussing about Independence of child, the birds and the bees, how significant is studying abroad as a part of life?? etc...
We couldn't reach a conclusion of some topics. Also We're sure that result of things we're working on will come up after a few decade. That's why we're been encouraging to find better way to lead and teach children to better future.
That was great time to share opinion and find new connections.
In term of naming Ed”camp”, I feel I want sleepover with them and discuss more!!
今自分の中でヒットしているワード『大正新教育運動』
1つ前のブログで書いた介護職の友達とのプチ・プロジェクト。
どんな内容のものか調べ始めると、興味をそそられる言葉がぞくぞく。
-教えない教育
-教師が権威を持って教材と通して既成知識を「教える」教育ではなく、自動がその生活経験を通して自発的に「学ぶ」ことのできる教育の実現を目指す
ー手段としての自由は、しばしば「自由な選択」を強いる「他者からの強制」に転化しやすい
ー「学校」という場は、俗悪な大人や事物・不正・不義・不法は存在してはならないものとして規範化された。しかし、理性的に整備された「学校」という擬似社会における社会体験や生活体験こそが逆に子どもたちから現実の社会や実生活に対するリアリティを喪失することになってしまったのではないか。すなわち実際は体験的な学びから最も疎外された立場に置かれていたと考えられる
ー「子ども中心の教育」を志したとはいえ、実践場面では教師の影響を排除できないし、それを欠いてしまうと今度は教育関係や子どもの学習そのものが成立しなくなるとジレンマを抱えこむことになってしまう。極めてデリケートな実践であった
第二次世界対戦前になるとこの「自発的に学ぶ」 という点が「勤労奉仕を通じて皇国の道に帰一せしめる」ことを目指す内容にシフトしていったみたいだけど。今から100年前に起きた運動の内容や経緯について今でも考えさせられるって単純にすごい。
温故知新で、
すごいな。これはもっと知りたい。
そして感動と同時に、
未来があるということ。
中学からの友人で介護現場で働く友だちと話をすると、
保育と介護って似てるよねぇ...と言うくだりがいつもある。
オムツ替えとか、
指先を使ったレクリエーションとか、
食事の介助とか、
文脈が繋がらない会話を読み解いたり、繋げる関わりとか、
不思議な笑いのツボとか、
でも圧倒的に違う点
『これから未来がある人に向けてサポートしていく保育と、その人が望むような終わり方ができるようにサポートする介護』
施設を出る時に温かい拍手を送れることが羨ましい。介護の現場では施設を出ることはまったく逆の意味を持つから。
頭では分かっているつもりでも、直接言葉にして言われるとすごい衝撃。
その友だちと最近、何か一緒にできないか話をしている。
子どもたちに繋がる。ただ優しく敬ってもらうだけじゃない長年の経験をひけらかしてもらう場。まだ全然具体的ではないけれど。
同じタイミングで私の祖父も入院になり、治療方針から今日転院となりました。
「来るなら早く聞きに来い」と急かされているような。試されているような。
時間は有限であることをここに来てひしひしと感じてる。
【参加してきました】チャボカと保育世界一周報告会!
今日はまた濃かった!
フリーランス保育士
小学校教諭
公立保育士
民間保育所保育士
学生さん
世界学校探求教育旅を敢行中のサムライ
チャボカに遊びに行ってきました!保育、
一度出勤すると、
同じ現場で働く保育士さん同士話せることもあれば、初対面・
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その後は、保育士世界一周報告会へ。プレゼンターは世界一周をしながら各国の幼児施設を訪れた原田智
日本で広がっている北欧のイメージと実際の姿。
Facebookのイベントページにも原田さんの言葉で書いてあ
2つのイベントを通して強く感じたのは、経験に勝るものはなし!
そして最近の自分は、
動こう。考えよう。
ドリよさ。AZUKI
今日はお台場へ♪
(体験したいけど)チームラボじゃない!
(観たいけど)劇団四季アラジンじゃない!
そう!よさこい!
社会人になってからAZUKIでよさこいを踊り、
社会人になると団体で何か目的に向かって取り組む機会って減るか
そして私がお台場まで足を伸ばす機会も一年でこの一日。
行くたびにはじめましての方も増えたけど今回も顔を出して良かっ
最終的には、
チャギントンのイベントブースに魅かれながらも「これ(この演舞)が終わったらね」と折り合いをつけ、踊り子を応援するちチビちゃんたち!頼もしい!
反省。。。
久しぶりに大・大・大・大反省。
今年度私はフリーという立場で3~5歳児クラスへ必要に応じて入ってます。普段 集団の流れについていけなかった子をフォローしたり、泣いていたり気持ちが落ち着かない子と別室に移動して静かな時間を作ったりしているので、担任に比べて優しい・許してくれる範囲が広いという認識を子どもたちに持たれていたことは私自身感じていたのですが、
先日、お休みだった担任に変わり、メインでクラスを受け持った時、明らかにクラスの雰囲気も異なり『いやだよ』を繰り返し口にしたり、大人が知っているのを分かっていたずらしてみたり。空気がざわざわしていました。子どもたちも"今日はこの先生だから大丈夫"と、受け入れてもらえるという期待がいつも以上に大きくなっていたのだと思います。
なるべく気を荒げずに声掛け、様子見をしていたのですが、子どもたちに”みくびられている”といるという気持ちが大きくなり思わず一喝してしまった。
『先生が変ってもやることは一緒だよ!今なにやる時間なの!』
その瞬間、
私もあっ!ってなった。
子どもたちもあっ!ってなってた。
あーやっちゃった。
心のどこかで『子どもたちを言う通りに動かすこと』が保育士の力量だという気持ちが残ってた。そうじゃないのは頭で分かってるのに、結果、子どもと対立しちゃった。その日は一日、落ち込む私&いつもと違う雰囲気を察して不安な子どもたち。楽しくなかっただろうな。
以前『一度認めると許されると思っちゃうから例外は作ってはいけない』と先輩に言われ、最初の頃はなんの疑問も持っていなかったけど、今は考えが変わった。
大人だってパフォーマンス悪いもあれば、いい時もあるのに子どもには毎日同じクオリティを求めるのもおかしな話。大人は、悪い時の対処方法を心得てるけど、子どもはそれを学んでいるところ。『これをやらなきゃだめ』とストイックになるより『今日は気分が乗らないのね』と受容してあげる姿勢が大事だと思います。本当はいけないことと良いことの分別はついていると思う。やるべき時間にできないのはダメっていうのは今の日本の政治家みたい。一度失敗すると辞任するみたいな。じゃなくて、一度機会を逃しても次があり、そこから何か学び取れる言葉かけや環境が大事だと思うのです。
もー今回は本当に反省しかない。
子どもじゃなくて私自身がきちんと保育スタイルを確立しないとな。そして理解して見極める力をつけたいな。翌朝、何事もなかったように駆け寄ってきてくれる子ども達に申し訳なさでいっぱいになった。あー純粋!